このサイテーな世界の終わり The End of the F***ing World ネタバレ・感想

The End of the F***ing World season1 (2017) 

映画の感想はブログでは長らく書いていなかったのですが、久しぶりに書く気になった作品があったので(ドラマですが)、今回はNetflixオリジナルドラマの「このサイテーな世界の終わり」(原題:The End of the F***ing World)を自己満で紹介、おすすめしていきます。

 

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「このサイテーな世界の終わり」のあらすじ

 主人公は自分はサイコパスだと思い込んでいる17歳のジェームズと、家庭内で疎外感を感じて逃げだそうとしている同じく17歳のアリッサの2人。ある日アリッサはなんとなく気になったジェームズを、もしかしたら愛せるかもしれないと、ひどい家庭環境から逃げ出す一つの砦としてとらえるようになる。そしてとうとう苦しい状況に耐えられなくなったアリッサは、ほとんど知り合ったばかりのジェームズを連れて家出する。

 一方のジェームズは、向こうからガツガツやってくるアリッサに戸惑いつつも、断るのも拒絶するのもできない性格からなるがままに身を任せてアリッサと一緒に逃避行にでることになる。とはいえジェームズのほうも全くアリッサに惹かれていないわけではなく、初めて殺す人にぴったりだと思い、アリッサと行動する間に殺す隙を狙っている。

 

 幼い頃に受けた心の傷から、心を閉ざしたジェームズは、何かを”感じる”ことができなくなっていた。そのため自分はサイコパスだと思い込み、これまでに何度も動物を殺してきた。そこへアリッサというまだ殺したことのない人を殺す機会が転がり込んできたのだ。だけど気づけばアリッサの存在がジェームズの閉ざされた心を開いていく。ジェームズは自分の心の変化に戸惑うが、そんな心の変化に折り合いをつけられる前に事件が起こり、事態は一変する。

 

ジェームズは初めての人殺しに成功する。

しかし相手はアリッサではない。

 

アリッサを襲おうとした本物の殺人鬼を、アリッサを殺すために持っていた狩猟用のナイフで刺して人殺しに成功する。

 

そこから2人の逃走が始まる。

 

 初めて人を殺してみて、思っていたのと違ったと感じたジェームズ。次第に自分を救ってくれたのがアリッサで、自分にとって必要だと気づく。

 一方ジェームズが男を刺したことで殺人を犯した事への恐怖とジェームズへの恐怖を感じ、ジェームズをおいて一人で逃げ出すアリッサ。でも一人でいるうちにやはり自分にはジェームズが必要だと感じ、ジェームズのもとへ戻り、また一緒に逃避行を続ける。

 

 2人が心を通わす一方、隠したはずの殺人は隠しきれておらず、ジェームズとアリッサは指名手配され行方を追われる。

  アリッサの実父の元へ逃げたアリッサとジェームズ。毎年バースデーカードを送ってくれる実父に、素敵であってほしいと期待するアリッサ。期待を裏切られることを心配していたが、2人を迎えてくれたアリッサの実父はアリッサがそうであってほしいと望んだような人に見えた。一見は。アリッサとジェームズが指名手配されていると知ったその実父はお金のために2人の情報を売ろうとする。

バースデーカードも本当はアリッサの母親が成り代わって送っていたものだった。

 

こんなサイテーな世界に、もうジェームズなしでは生きられないと確信するアリッサは、アリッサとジェームズの罪をできるだけ軽くしようとしてくれていた女性の警察官を殴り、ジェームズと2人で逃げ続けようとするが、ジェームズは殺人の罪を自分だけに負わせ、アリッサを救おうとする。

ラストは1人で銃を持ち、走って逃げるジェームズの姿が映し出され、銃声が響いて終わる。

 

2人のキャラクター性のよさ

この作品の良さの一つが主人公2人のキャラクター。

まずジェームズ

自分をサイコパスだと思い込んでるって、どういうキャラなの(笑)え、サイコパスって自分で自覚してるもの??と初めは可笑しく思っていたんですが、それもそのはず、ジェームズはサイコパスではありませんでした。幼い頃に母親が目の前で自殺するという衝撃的な経験を持ち、そのショックから感情が感じられなくなっていたのでした。

何も感じられないためか、ジェームズは人を殺そうとしてアリッサをターゲットにしますが、まさかそのターゲットがジェームズの感情を取り戻す存在になるとは。初めは殺そうと思っていた対象を好きになっていくっておもしろい。

 

またジェームズは不器用でもあります。

怒ったアリッサのご機嫌を取ろうと外でむしった花をカップに入れて、戻ってきたアリッサに差し出すところがお気に入りのシーン。

それからアリッサがジェームズを怖がっていることに気づき、自分は冷静だと示そうとしてバーガー屋に置いてある砂糖の袋を整理して並べて見せるという逆にこわい行動に至るところもツボです。

 

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次にアリッサは、

強気で他人の気持ちなんて気にしない、クールな女の子。学校では明るく元気でみんなの人気者タイプではなく、誰に対しても警戒していて話しかけられても無視してクールに振る舞い、ずっと1人でいそうなタイプ。

だけどそれは家庭環境が大いに影響していそう。家では義理父がアリッサを邪魔者扱いし、母親もそれを知っていて何もしません。

爆発寸前で他人の気持ちなんて考えてられない感じのアリッサ。

ただアリッサはなるがままに身を任せているジェームズとは違って自分から相手に働きかけたり、自分の思ったように行動することはできるようです。

こちらも人とうまく関わるのは苦手だけど生きていく力はありそう。

どうでもいい相手を傷つけたり物を盗んだりするのは気にしないけれど、迷子の女の子をわざわざ送り届けたり、大事なところでは良心を失っていないアリッサ。

 

こんな感じで、完全な悪じゃないけど世間でははみ出しモノになるであろう2人と、その周囲のゲスい人々のコントラストがおもしろいのです。 

 

ブラックユーモア

すでにサイコパスだと思い込んだジェームズが殺そうとしたアリッサではなく、アリッサを守ろうとして別の人を殺すことで念願の殺人に成功し、しかも殺そうと狙っていたアリッサによって人を思いやる気持ちも知るという設定そのものがブラックユーモアでおもしろいのですが、この作品はブラックコメディにカテゴライズされるだけあり、他にも諸所にブラックユーモアがちりばめられています。

 

 おもしろいのが、アリッサもジェームズも、本当に心配してくれて、気にかけてくれている人が身近にいたっていうこと。アリッサにとっては母親で、ジェームズにとっては父親。

アリッサの母親は娘を気にかけていないように初めは描かれているけれど、家出をしたあとのアリッサは母親を恋しそうにしているし、実父からバースデーカードが送られてきているように毎年細工するほどには母親はアリッサを気にかけてくれていたことが後になってわかります。

ジェームズの父親も初めはジェームズを全く理解していないように描かれているけれど、自身も妻の自殺で傷ついて、それを忘れるため、また傷ついたジェームズを気にかけてのふるまいであったとあとからジェームズも気付くこととなります。

 

 また、逆にいい人に見えた実父が実はろくでなしだったのも笑えます。彼はドラックディーラーをやっていてアリッサ以外にも別の家族がいるのにろくな仕事をしておらず、面倒をみずに適当に暮らしています。挙げ句の果てには賞金目当てに自分を頼ってきた娘を騙して通報するような人でした。

 

 それからアリッサがジェームズに怒っているときに出会った青年は、最低な人たちとも、クレイジーな主人公たちとも違ったごく普通の

純粋な人として映り、その純粋さが可愛く感じます。警察に取り調べを受けているときのやりとりが面白かったです。

 

最後に

 この作品は1話20分、全8話とコンパクトにまとまっていて、展開が早くテンポも良いのが魅力です。プロットがいいのはもちろんのこと、ビジュアルとしても最高です。ちょっとひんやりした画がクールで、アリッサのジャケットなど印象的なアイテムの抜かりもありません。それから音楽もいいです。この作品のサントラはイギリスのロックバンド、BlurGraham Coxonが担当したそうです。どの場面もぴったりな音楽が使われていてかっこいいです。

 正直初めは主人公たちがクレイジーすぎてついていけず、特にジェームズは動物を殺すような人物で受け入れられないと思っていましたが、物語がテンポよく進むためどんどん引き込まれ、気づけば主人公たちに感情移入するようになっていました。ラストはドタバタコメディ的に進み衝撃でしたが、期待を裏切らない終わりに満足しました。

とにかくおすすめです!

 

 

 

ビフォア・サンセット 感想 映画

ビフォアシリーズの第1作目、ビフォア・サンライズが気に入り、1日間を空けて続編のビフォア・サンセットも観ましたので感想を書きます。

 

 


 

1作目ビフォア・サンライズの全体の感想はこちらです↓

ビフォア・サンライズ 恋人までの距離 映画感想 - 日々の事。ときどき映画

 

ビフォア・サンセットはビフォア・サンライズの続編であり、サンライズの9年後に同じキャストで撮られた映画です。

 

 パリの本屋さんにて

9年後のジェシーは作家になっており、アメリカでベストセラーになった作品の宣伝でパリのとある本屋にきています。

しかもその本は、セリーヌとの出会いのストーリーでした。

観光地のようにもなっているパリの本屋さん、"シェイクスピアと仲間たち"でインタビューに応えていたジェシーがふと横を見ると、セリーヌが少し離れたところに立っていました。

ジェシーは驚いた顔をし、セリーヌはちょっと微笑みます。

お互いに久しぶりに会ったような緊張感がみられ、あの6ヶ月後の約束が果たされたかはわからないものの、少なくとも最近は付き合っていないことがわかります。

 

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カフェまでの道のり

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カフェで話そうということになり、セリーヌおすすめのカフェまで歩いていきます。

この途中にセリーヌがあの気になる約束の結末について、話を切り出します。

 

2人は6ヶ月後に会う約束を果たせていませんでした。

セリーヌは行くつもりで準備していたのに、祖母が亡くなって葬儀に出るため行けなくなり、連絡先を知らなかったため連絡もできなかったと説明し、行けなかったことを謝ります。

 

一方ジェシーは初めは行かなかったと言うものの、セリーヌにどんな理由で行かなかったのと聞かれると、 本当は行ったんだと白状します。

片方だけ行ってたら最悪だ、と言っている様子から察しましたけれどね(笑)

 

セリーヌに、

あぁあなたずっと私を恨んでいたんでしょう、そうでしょう?そうに決まってる!でも私本当は何よりも行きたかったのよ、わかって!もう怒ってないわよね?

と言われて、ジェシー

おばあさんが亡くなったんだから仕方ないよね、君が来てくれなかった日から人生下降の一途だけど

と最後にちょっとサンライズからこの日までのジェシーがあまりうまくいってないように聞こえることを言います。

 

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カフェでの会話

カフェに着くと2人はお互いの近況や自分の考えなど取り留めもなく話をします。

 

そのなかでセリーヌがニューヨークに留学していた時期があること、その時期がジェシーがニューヨークにいる時期と被っていることなどが発覚します。

 

9年という長い年月が流れたことを改めて知り、しみじみとする2人。

セリーヌ私どこか見かけが変わった?と聞くと、ジェシーはしばらく間を空けて裸を見ないと、と返します。

おい!ジェシー、何言ってんだ!(笑)

と見てる方も思いますが、もちろんセリーヌ何言ってるの、と笑います。

 

でもこうしたところからもジェシーの久しぶりにセリーヌに会った驚きと興奮と嬉しさ、それから会わなかった9年の想い、ずっと忘れられなかったであろう想いが伝わってくるんです。

 

 

パリを散歩

カフェを出た後、ジェシーの帰りの飛行機まで時間がないものの、名残惜しいのかギリギリまで散歩をするのことになります。

 

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そこでも様々なことを話しますが、ジェシーにショックな話がありました。

 

セリーヌファックの悩みないの?となぜか聞かれ、ジェシーえ?どうしてそんなこと聞くの?9年前一緒に寝たときに何か感じたの?と聞くと、セリーヌがショッキングなことを言います。

いいえ何も。そもそも私たち寝たことないじゃない。

 

これにはジェシーさんびっくり。冗談だよね?と返しますがセリーヌさんはやってないの一点張り。

結局セリーヌやっぱりあなたの方が正しいかも。悲しい記憶だからしまい込んでしまったのよ。と、またまたショックな一言を。

君にとってあれは悲しい出来事だったの?とショックな表情で聞くジェシーに、セリーヌは、いいえ、そうじゃないの。祖母が亡くなったこととイメージが被るのよ。祖母が亡くなったことが悲しくて忘れてしまったんだわ。と言います。

それでもちょっとさびしいジェシー

 

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それから、セリーヌもし私たち2人だけが今日死ぬとわかっていたら、どんな話をする?と聞きます。

ジェシーは考えてから、環境問題や僕の本の話はしないだろうね。だけどこの世の不思議については語るだろう。場所はホテルで。それも死ぬまで続けるファックの間に。と言います。…それなら別にホテルまで行かなくていいじゃない、そこのベンチですれば?と、セリーヌは近くのベンチを指差して言います。

ジェシーセリーヌの腕をつかみ、ベンチまで走って行ってセリーヌを自分の膝に乗せます。

今日はまだ死なないわ。今のは極端な例よ。私が言いたかったのはね…セリーヌジェシーの膝から降り、ベンチに座って話を戻します。

 

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その後、ジェシーの家族の話になり、私たちはジェシーに妻と娘がいることがわかります。

そのことをセリーヌはインタビュー記事で知っていました。

 

ボートで

時間がないのにも関わらず、ジェシーのごり押しで観光客向けのボートに乗ります。そこでジェシーは妻とうまくいっていないこと、それでも息子が可愛くてなんとかやっていることなどが明らかになり、2人はますます6ヶ月後の約束を果たせなかったことが悔やまれてきます。

セリーヌとしては、ジェシーは大切な人だけれど、結婚して妻子のいる人なのだからどうしようもない、9年前に再会できなかったことは運命だったのだと思おうとしている様子。

 

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ジェシーは心から悔しがっています。

あのとき再会できていたら…と。

 

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車で

ジェシーを空港まで送ってくれる送迎の車でセリーヌも家まで送ってもらうことになります。

 

その車の中で、セリーヌは爆発します。

度々まくし立てるようにマシンガントークをするなぁと感じる場面がカフェまでの道のりの時点からあったのですが、ここでの爆発は一番でした。

 

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セリーヌの言い分としては、

あなた最低よ。私はあなたと出会い、再会する予定までの6ヶ月、希望に満ち溢れ、輝いていた。あんなに純粋に人を愛する気持ちを持てたのはあの時だけ。それからは恋人と一緒にいてもさびしかった。人を愛する気持ちがどうしても思い出せない。恋人とうまくいかず、気にしないふりをしてきたけど、本当は傷ついている。それなのにあなたの本のせいで今の自分がどんなに冷淡か思い知らされてしまった。あの頃の自分がどんなに純粋だったか、思い出してしまった。あなたは作家の肩書きで、ロマンティックな気持ちだけでパリに来た。そして妻子がいる。ひどいじゃない。私はあの頃が戻らないのが悲しいの!

 

この流れで話したわけではありませんが、だいたいこんな内容だったと思います。

 

そんなこと言うわりに君はあの夜寝たこと忘れてたじゃないか、と言うジェシー。そして、ここからセリーヌさんから衝撃の一言が。

 

覚えてたわよ。女は知らないふりをするものよ。それじゃ言ったらよかったの?ワインを飲みながら星を眺めて朝日で星が消されるのを一緒に眺めたねって。二度したじゃないの、ばか!

 

わぉ覚えてたのか!え、知らないふりをするものなの?わからん。

 

ジェシーは驚いて笑い、ちょっと嬉しそう。

確かに忘れられてたら悲しいよね。

 

この後ジェシーセリーヌを忘れられずにいたことがわかる夢の話をします。

これを聞いてセリーヌはなんで話したの…と言います。

確かにちょっと行き過ぎていたかもしれません。

うまくいっていないにしても 妻子がいる身なので。

 

結局2人はお互いに忘れられずにいたこと、今でも好きで、一緒にいたいと思っていることをここでようやく打ち明け合います。

 

一緒にいたいと思っていてもそれはできないこと。

 

あーいや、でも待てよ。やっぱり別れたくないよ〜離れたくない、少しでも長く一緒にいたい!!

 

そんな気持ちからか、ジェシーセリーヌの家の近くで車が止まっても、家まで送ると言ってセリーヌの住むアパートまでついて行きます。

 

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セリーヌの家で

結局セリーヌの部屋に上り込むことになったジェシー

おい、いいのかジェシー!飛行機乗り遅れるぞ!

 

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↑くつろぎ過ぎなジェシーさん。

 

ジェシーセリーヌが作曲していると聞いていたため、一曲歌ってほしいと頼んでセリーヌの部屋に行くことに成功☆

 

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ラストは

飛行機乗り遅れるわよ、とダンスしながら言うセリーヌを見て、わかってる、と言ってジェシーが笑い、セリーヌがダンスを続けているところで終わります。

 

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最後にちょっと感想を

最後どうなったのかはっきりさせないところがいいですね。

でも私には飛行機に乗り遅れてそのままセリーヌの家に居座るジェシーさんの姿が見えます。

 

ラストの方の別れのハグと階段を登っていくシーンとあなたしか愛さないと歌うセリーヌさんのシーンが決め手です。

 

過ぎてしまった9年の重みや変わらない2人の想いが感じられてよかったので第1作と同じくらいこれも好きです。

現実的で切ないようでいて実はものすごくロマンティックな感じがいいよなぁ。

 

 

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ジェシーセリーヌへの想いが痛いくらいに伝わる表情がよかったです!

 

ビフォア・サンライズ 感想 パート1

ビフォア・サンライズ 感想 全体 ↓

ビフォア・サンライズ 恋人までの距離 映画感想 - 日々の事。ときどき映画

 

ビフォア・サンライズの全体の感想は以前に書いたのでURL貼っておきました。

 

これからちょっとずつ細々した感想を思い出したときに気ままに書いていこうかなと思います。

バラバラになってわかりにくい記事になると思います。すみません!

一気に書くと疲れますのでね…(笑)

 

ああああぁぁ〜〜〜

なんだこの青春感…

何なんだこの初々しさは!!

清いよ!君達!青春だね!憧れるぜ!

 

となるのがこのシーン

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レコード店での視聴中の二人。

 

何度見ても、ああぁぁ〜…イイ…!!と感じます。

照れ笑いする二人。透明感溢れるセリーヌさん。ニヤけるジェシーさん。

 

思い出して何度もみたくなるシーンです。

 

 

 

ビフォア・サンライズ 恋人までの距離 映画感想

TSUTAYAさんやアマゾンプライムビデオなどで評判のいい恋愛映画と認識していたため、前々からなんとなく気にはなっていた映画。

ただ、ビフォア・サンライズDVDの写真だけでは俳優がわからず、なんとなく見ないままでいましたが、今回ようやく観るに至りました。

 

一言では言い表せないほど好きな映画になってしまったので感想を書くのにも少々躊躇しますが、書ける範囲で感想を書きます。

 

 

 まずはこの映画について簡単に紹介します。知らない人向けなので聞くまでもないという方は読み飛ばしてください。

 

1995年に公開された“ビフォア・サンライズ”は実はシリーズ化され、現在は3部作となっています。“ビフォア・サンライズ”の9年後に公開されたのが第2作目の“ビフォア・サンセット”でそのまたさらに9年後の2014年に公開されたのが第3作目の“ビフォア・ミッドナイト”です。私は“ビフォア・サンライズ”を最近観たのですが、どハマりしてしまい一日おきに3本とも観てしまいました。

第2作目の“ビフォア・サンセット”と第3作目の“ビフォア・ミッドナイト”は監督だけでなく、主演のジュリー・デルピーイーサン・ホークも脚本に関わり、アカデミー賞脚本賞でノミネートされていたりもします。

 

今回はビフォア・サンライズにとどまらず、サンセットとミッドナイトも含めた感想になるのでまだ観たことのない方はお気をつけください。

ネタバレありです!

 

では先にビフォア・サンライズ単体の感想を書きます。

 

ビフォア・サンライズ

ストーリーは簡単にまとめると、ヨーロッパの列車で出会ったアメリカ人ジェシーソルボンヌ大学に通うフランス人セリーヌが意気投合して一日を共に過ごすことでお互いを好きになる話し。

 

ジェシーからセリーヌに話しかけ、しばらく話すと2人は気が合うことがわかる。

 

会話が弾んでいたところ、ジェシーが降りる予定になっていたウィーンに到着。

ジェシーは一旦セリーヌと別れて列車を降りるも、セリーヌともっと話すために列車に戻り、セリーヌに自分と一緒にウィーンを一日観光しないかと誘う。

 

ここでジェシーセリーヌを説得するのに、

 

      いつか君が10年後、20年後に結婚して夫に不満を持ったとき、君はそこで今まで出会った男を思い出すんだ。その1人が僕なんだ。そして君はいつだったかウィーンで一緒に降りた男もやっぱりつまらない男だったと思い、安心して夫と過ごせるんだ。

 

て言うんです。この映画は主に2人の会話で成り立っていて、ひたすら会話を聞くだけでも飽きないような、興味深い話がたくさん出てきますが、この時点ですごい。

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  • バスでの質問

ジェシーと一緒に列車を降り、ウィーンの街に繰り出したセリーヌ

2人はバスに乗り、お互いによく知るために質問し合う。

 

ここではバスで隣同士で座っているため、話をするうちに距離が近くなったり、ジェシーセリーヌの髪に触れようとするところもあり、まだ慣れないものの恋の予感が伝わってきてすごくいい!

初々しい2人の距離感がうまくでています。

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  •  レコード店  視聴室で

セリーヌジェシーはあるレコード店に入る。そこには視聴室があり、ある曲を2人で視聴室に入って聴く。曲を聴くあいだ2人は狭い視聴室の中でお互いにお互いの顔を見ようと、相手が見ていない隙に相手に視線を向ける。

 

ここでの視線の向け合いには見ているこっちまで気恥ずかしくなるような初々しさがあります。

ジェシーを盗み見るセリーヌの表情や仕草の可愛さと、ジェシーのニヤけっぷりがいいです。

 

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  • あるお墓にて

セリーヌジェシーはあるお墓にたどり着く。

そこはセリーヌが子供の頃に来たことがあるお墓だった。そのお墓に埋められているのは船の事故で亡くなった人や自殺した人だという。そのほとんどが身元不明の者だった。

 

 

ここでセリーヌは死に対する考えを話します。

 

“誰も知らない死”ってステキだわ。家族も友達も私の死を知らないのは死んでないのと同じ。私は消えただけ。

 

セリーヌは他にも何度か死を恐れていると話す場面があります。ブダペストの祖母の家から自身の住むパリに戻るのに列車を使うのも列車の方が事故死する確率が低いからだと言っていました。また、列車の中で読んでいたのも、確か死に関する本だった気がします。

会話を追ううちに、セリーヌは死ぬ瞬間を恐れていることがわかってきます。

 

  • 観覧車でのキス

セリーヌジェシーは遊園地の観覧車でウィーンの街並みを眺める。

時刻はもう日暮れの頃。ジェシーは落ち着かぬ様子でセリーヌに、美しい眺めだ、キスするのにもってこいの場所、状況であると言う。

2人は美しいウィーンの街の夕暮れに観覧車でキスをする。

 

 

ここでジェシーはキスをしたいと言うものの、自分からしようとはしません。まだ迷いがあるようです。

してもいいだろうか、セリーヌは嫌がらないだろうか。

ジェシーがそんなことを気にしているうちに、セリーヌからどんどん距離を詰めていきます。

 

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ジェシー:素晴らしい眺め、サンセット、観覧車、まるで…

セリーヌ:なあに…?

ジェシー: あぁ…わかるよね、ほら…

セリーヌジェシーに顔を近づけ、

セリーヌ:私とキスがしたいの?

ジェシー、そう!そういうことなんだ…と頷くだけでどうしていいかわからない様子。

 

そしてセリーヌからジェシーにキスするという流れです。

実際に観ないとこのステキな場面のよさがよくわからないと思いますが、会話はこんな感じでした。

セリーヌジェシーと視線を合わせ、顔を近づける一連の様子や、意外にも慣れない様子で戸惑っているジェシーが可愛いです。

 

  •   カフェで占ってもらう

 カフェで他の客が占い師に占ってもらっているのを見る。占い師と目が合い、セリーヌが手相を見てもらう。占い師はセリーヌが望んでいるように強い女性になると言い、ジェシーは知らない人だね、と言い当ててほとんどジェシーの手相は見なかった。

 

ここで占い師に気付く前に、ジェシーが秘密を教えるよ、近くに寄って、と言ってセリーヌが顔を近づけるとキスする場面があります。大分打ち解けて、さっき観覧車でキスしたためか、余裕が出てきた感のあるジェシー

 

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でも占い師がきて去っていくとジェシーはちょっと気を悪くします。

占い師はセリーヌにとってジェシーは見知らぬ人だね、と言い、ジェシーの手相はちょっと見ただけで、ああ、彼は学んでいるから大丈夫、とだけ言いなんとなくジェシーに冷たいというか、どうでもいい扱いでした。

 

 占い師に強い女性になると言われて嬉しそうなセリーヌの表情が可愛いです!

とりあえずどんなときでもセリーヌがひたすら可愛い。

 

 

  •  教会にて 

教会でセリーヌは宗教に否定的であること、それでも教会にくるとその美しさに魅せられ、神を信じ、救いを求めて教会にくる人の気持ちがわかると話す。ジェシーにおばあさんを好きか聞かれたセリーヌは、自分自身に持つイメージが身を横たえて死を待つ老婆だと言う。

ジェシーは教会でただひたすら見つめ合うことで結婚するクエーカー教の話をする。

セリーヌを見つめるジェシー。ステキね、と言って目をそらすセリーヌ

 

ここでもセリーヌは死について話します。

そして、自分が老婆のように感じると言うセリーヌに対しジェシーは、不思議だ、自分は大人になる方法がわからず、まだ13歳くらいに思えるといいます。

セリーヌは、おもしろいわね、それじゃあさっき観覧車では老婆が坊やにキスしたのね…と返します。

 

そこからクエーカー教の話になりますが、ここで初めてセリーヌジェシーの間にこれからの2人についての問題が浮かび上がってきたように思います。

 

だんだんと惹かれあっていくものの、2人には今日1日しかありません。

セリーヌを見つめるジェシーはこれからも一緒にいたいとそれとなく伝えているのだろうと思います。

それに対し、目をそらすセリーヌは、恐らくこの時点でパリに住む自分とアメリカに住むジェシーでは付き合えないと考え、これからの2人については約束すべきでないと思っているように感じられます。

 

セリーヌに目をそらされ悲しそうなジェシーは、

無心論者の友人がホームレスに札束を見せながら、神を信じるかと聞き、信じると答えたホームレスに不正解でしたと言って車で去った話をします。

 

ジェシーはよくたとえ話をしますね。

 

  • 川沿いを歩く2人、ステキな詩

ぴったりと寄り添って川沿いを歩く2人は、お互いにどこが頭に来るか聞きあう。ジェシーはかわし、セリーヌジェシーの占いの時の態度が嫌だったと言う。そこで宿無しウィーンの詩人風青年(ちょっとひどい言い方ですね、ごめんなさい)が2人に声をかけ、詩を書くから気に入ったらお金をくれ、あと詩に使う言葉を一つ選んでほしい、と言う。

セリーヌは占いの時のジェシーの態度がミルクシェイクが欲しいのに買ってもらえないと不貞腐れるわがまま坊主だと話していた流れから、ミルクシェイクを使って詩を書いてもらう。

 

ここでの2人はジェシーセリーヌの手をもてあそび、しきりに手を握りたがります。セリーヌはその手を解いて腕を組みジェシーに寄りかかるのですが、やっぱりここでも可愛い。

 

そして、肝心の詩はとてもステキなものでした。

今回は死ではなく詩です。

それもステキな詩。

ドヤる詩人もいい味出してました。

セリーヌは素直に感動し、ジェシーは前に作った詩にミルクシェイクを当てはめただけではないかとちょっとひねくれたことを言います。

 

ジェシーは言わなくてもいいようなことを言ったり、ちょっと子供っぽいところがあるのを感じます。

それでもセリーヌのロマンチックなものに素直に感動する純粋な可愛さが際立っていいのですが。

 

それから詩が完成するのを待っている間にジェシーがゲームが好きだ、競争心があるからね、勝ちたいって思う気持ちがね、と言うとセリーヌは、それじゃだから私を列車から降ろしたの?と言います。ジェシーがどういう意味?と聞き返します。

ここで詩が完成し、話は流れてしまいますが、ここでも2人の関係性をどう捉えるべきかという、表には出さないものの2人のなかで確実にある疑問が見え隠れし出します。

セリーヌジェシーの本心を探り出そうとし始めました。

 

  •  あるクラブにて

とあるクラブに入った2人。玉当てゲームのようなものをしながら2人はここで初めてお互いに恋人の有無を聞きあう。

 

2人はお互いに今は恋人がいないことを知ります。

セリーヌは恋人を殺す女の話を精神科医に話したときのことを話します。

ジェシーは今回ヨーロッパに来たのがマドリードの恋人に会うためであったこと、相手がもう自分と別れたがっていて自分から別れを切り出し、別れて旅をしていたことを打ち明けます。

 

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ジェシーはこの話のときもでしたが、話をそらしたり、すり替えたりするところがあります。

これはビフォア・ミッドナイトにつながるジェシーの性格でもあり、他にもありますがこうしたことが後々思い出されてきます。

 

セリーヌに関しては、この場面ではありませんが、よくフェミニズムというか、いかに男性優位の世の中であるか、力では男にかなわないものの、女性がいかに強いかについて語ったりします。それからよく男を殺す女の話をします(笑)

 

 

  • あるレストランにて 電話ごっこで告白

レストランでセリーヌが友人に電話すると言い出す。実際には本当に電話をするのではなく、電話ごっこ。ジェシーに電話に出るように言い、友達にジェシーの話をしている体でジェシーに告白する。

次はジェシーが友達に電話するフリでセリーヌに告白する。

 

 

ここでセリーヌは友達役のジェシーに、その男と付き合うつもりなのかと聞かれ、その話はまだしてないの、と言います。

心配そうなジェシー

まだ真意を問いただすことは後回しにする2人。

 

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ただお互いに好き同士であることはこれでわかりました。

 

 

  •    夢のような時間 私たちのこれからは〜  建物の屋上そして船の上にて

ある建物の屋上で2人はこの時間がまるで夢のようだと言い合う。

船の上に場所が変わり、2人は今後の2人についてようやくちゃんと話し出す。

 

 

セリーヌは建物の屋上でこんなことを言う。

 

明日の朝になれば私たちはカボチャに戻ってしまう。せめて今は私にガラスの靴を履かせて。

 

船の上では、

 

私たちは理性のある大人よ。付き合えるわけがないのはわかってるよね。私たちには今夜しかなくてもいいじゃない。だって連絡先を交換しても一度か二度連絡してそれで終わりになってしまう。

 

と言い、今夜一日しかない今を楽しもうということに話は落ち着きます。

 

ここだけ見ると、セリーヌジェシーを好きなものの、遠距離は無理だと諦め、2人の仲を今夜だけに留めようとしているように見えます。

ただ後々ビフォア・サンセットの方まで含めると、セリーヌは本心を言わず、反対のことを言ったり、相手を探ったりするところがあるのがわかります。

そのため後々考えると、ジェシーから付き合いたい、また会おうと言ってくれるのを待っていたのだろうかとも思えてきます。

しかし、この時点ではまだロマンチックな1日の夢を壊さないように、1日限りの関係を望んでいたのかもしれません。

どっちかはわかりませんね。

 

  • 夜の公園にて

2人は夜の公園でなんとか手に入れたワインを飲みながら隣同士で寝そべって星を眺めている。

話の流れでセリーヌジェシーと寝るかどうかの話を切り出し、キスして欲しいという。

 

 

ここでもセリーヌから果敢にも2人の問題に切り込んでいきますが、その段になってから躊躇します。

 

やっぱり寝るべきじゃない、だって今日しか一緒にいられないのに後々思い出して寂しくなるもの…と、これまたセリーヌが可愛いことを言います。

 

ジェシーはそれじゃまた会えばいいと言いますが、寝るために大人の理性の約束を破るのはだめとセリーヌは返します。さっき船で付き合うことを約束したり期待しないと約束したばかりでした。

わかった、寝ることはそんなに重要じゃないとジェシーが言うと、セリーヌは、オッケーと初めは言うものの、しばらく間を置き、私とまた会いたくないの、とちょっぴり拗ねたように言います。

 

ジェシーは笑って、そんなことはないと言い、セリーヌはまた自らキスしにいき、2人は結局寝ます。

 

 

  • 夢から覚めた、現実の朝

2人は朝になって夢から覚めてしまったことを嘆く。

ある建物から聴こえてきたハープシコードの曲に合わせて踊り、お互いにじっくり見ることで記憶の写真に残す。

場所が変わり、階段に座るジェシーの膝に頭をのせてジェシーを見つめるセリーヌ

 

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別れるのを惜しむ2人の気持ちが伝わり、本当にこのまま2人は別れちゃうの?と心配になります。

 

 

  • 駅のホームにて、遂にきた別れの時

とうとうやってきた別れの時、ようやくこのまま離れ離れになりたくないと本心を伝え合う2人。

ももう列車は発車してしまう。

慌ただしく、出会った昨日から6ヶ月後に再び同じ場所で会おうと約束する。

 

別れを惜しむものの、恋が覚めてしまわぬよう、連絡先を交換せずに別れる。

 

2人は、夢のような出会いと共に過ごした1日の余韻に浸りながら、6ヶ月後に再び会う希望を胸に、それぞれの帰路につく。

 

 

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これでおしまいです。

本当に連絡先交換しなくていいの?と、こっちが心配になりますよね!

6ヶ月後、本当に会えたのかどうか、ビフォア・サンライズではわかりません。

 

ここで終わっているのが、映画の余韻に浸れるためステキだと思います。

 

ビフォアシリーズ3つを通しての感想もここで書くつもりでしたが、思ったより長くなったので今回はやめておきます。

付け足しておくと、キャラクターについてはセリーヌは積極的でジェシーは意外と躊躇して、頼りない、子供っぽいところもあると言う印象を受けました。

でもそれだけではないのでまた今度今回書けなかった部分も書こうと思います。

 

 

結構書くの疲れたので、また書くのはしばらく間が空きそうですが、よかったらまた読んでください!

 

※画像はネットからお借りしました。

会話の抜き出しは雰囲気は合ってると思いますが、一字一句正しく書いたわけではないのでご注意ください。

 

 

 

ラ・ラ・ランド 映画"LA LA LAND"感想

 

イムリーな映画、観てきました。

 

 今日アカデミー賞の発表がありましたね。

アカデミー賞大本命と言われていた「ラ・ラ・ランド」ですが、前代未聞のハプニングがあり一時は手にしたかに思われたアカデミー賞作品賞を逃しました。

 

なんと、プレゼンターに渡された結果の紙が作品賞なものでなく主演女優賞のものだったのです。

プレゼンターはエマ・ストーンの文字と共に書かれたラ・ラ・ランドの文字を読みました。

 

しかし本当の受賞作品はムーンライト。

ラ・ラ・ランド関係者は舞台に上がりスピーチまで始めたのに、事実を知らされ後ろに下がりました。

流石に可哀想でした…。

 

 

ここからネタバレあるのでまだ観てない方はご遠慮下さい。

 

 

私は天邪鬼だからなのか、良いと言われるものにはあまり期待しません。

実際これまで期待して観た映画にはがっかりし、あまり期待せずに観た映画の方が好きになること多かったので。

それに実は、期待はずれだったという感想もラ・ラ・ランドを観る前に聞いていたのであまり期待せずに観に行きました。

 

さて、感想を。

冒頭はカラフルな服装の人たちが夢と希望の歌を歌いながら踊ります。ここはこの映画の導入となっています。

出だしはまあまあだな、と思いました。

しかし、ストーリ前半。

どうもテンポが悪いような…と感じ、正直に言うと退屈してしまいました。

なんというか、ぶつ切り感があり流れが悪く心地悪い。

 

でも映画は割と最初はつまらないけど後から面白くなることあるよね!と自分に言い聞かせ、我慢しました。

 

すると期待した通り、後半になってだんだんとテンポの悪さを感じなくなりました。

セブとミアが付き合いだしてからいい感じに楽しめるようになりました。

 

夢と希望に溢れた二人。セブもミアも夢追い人。

二人はお互いにうまくいかない夢を持ち、多分それ故に惹かれ合った。

 

 

 

夢や希望はとっくに捨てた意地の悪い人ならきっとこの二人にこう言ってやりたくなるでしょう。

 

人生夢だけじゃ生きてけないよ。夢を追いかけられるのはお金と時間、そして強運のある人だけだよ。

 

 

実際セブもこれに気づいてしまいます。

やはり夢だけでは、愛だけでは生きていけません。

どれだけ純粋で無邪気な夢を持っていても、現実とは残酷です。

 

セブは自分の好きなジャズのお店を開いてミアは自作自演の舞台をつくって成功させる。

これが夢だったはずなのに、セブは生きるために信念を曲げてバント活動をします。

これが原因となり二人は喧嘩し、ミアはセブと住んでいた家を出ていきます。

 

でも多分セブは夢を捨てたわけではなかったんです。

非現実的な夢を持ったまま夢を夢で終わらせるのではなく、実現させるためには嫌なこともしなければならないと感じたのではないかと思います。

セブにとってはこれも夢の実現のための道。

でもそのことによってミアと一緒に過ごす時間を犠牲にしなければならない。

それにミアにはセブがなぜ嫌いなはずのバンドを続けるのか理解できない。

 

お互い愚かだと言われてしまうような夢を持ち、夢を捨てられない不遇の人だったはずの二人。

出会ったときは同じスタートだったはずなのに、セブの方が先に大人になってしまった。

 

ミアの舞台にセブは来ず、数少ない観客に舞台の酷評をされてしまったミアは傷ついて実家へと帰ってしまいます。

 

破局した形の二人。

しかしミアの舞台を観た人の中にミアを評価する人がいて、その人が映画のオーディションにミアを呼ぶためにセブに連絡してきます。

セブはミアにオーディションを受けるように説得するものの、これ以上傷つきたくないからと断るミア。

セブは俺が納得できる理由がないならオーディションを受けろと言ってオーディションの日にミアを迎えにきます。

 

 

結果的にミアはオーディションを受け、合格して女優の夢を叶えます。

 

5年後、ミアはセブではなく他の男性と結婚しており、その夫と食事に入った店で衝撃を受けます。

なんとそこはセブの開いた店だったのです。

しかも店名は付き合っていた頃にミアが考えたもの。

ミアに気づいたセブはミアとの思い出のピアノの曲を弾きます。

 

 

ここからがこの映画の全てでした。

 

ピアノの曲と共にセブとミアの頭に浮かぶのは理想の夢でした。

 

二人の出会いは曲を褒めようとしたミアにセブが八つ当たりするのではなく、キスをするというロマンチックな出会い。

 

セブへのバンドの誘いには見向きもしないで楽しい日々を二人で過ごし、ミアの舞台は満席で拍手喝采大絶賛。そこには勿論、人一倍大きな拍手をするセブがいる。

舞台の後すぐ、舞台の成功を喜び合うセブとミア。

 

女優になる夢を叶えてパリで撮影するミア。

パリでは素敵なジャズが聴ける。

ミアとセブは一緒にジャズを聴く。

 

二人は結婚し、子供にも恵まれる。

幸せな結婚生活の中、ミアは夫と通りがかりの店で素敵なピアノの曲を聴く。

その夫とは勿論セブ。 

 

 

これが理想の夢だった。

これが夢だったはずなのに。

どうしてミアの隣にいるのがセブではないのだろう。

どうしてセブの隣にいるのがミアではないのだろう。

 

出会ったときは純粋に夢を持ち、希望に溢れていた。

そしてその夢を叶えたとき一緒にいるのはお互いにお互いだと信じていた。

それなのに現実は違う。

確かにお互いに夢は叶えた。

でも理想ではなかった。

そばにいるのがお互いでないなんて出会った頃は知らなかった。

 

夢のために二人の愛を諦めたのは確かに自分たちだけれど、それでもやっぱり完全には忘れられない。

 

こうして夢が叶った今、そばにいるのがお互いだったらよかったのに。

 

でもこれでよかったんだ。

何かを得るには何かを犠牲にしなければならないことがある。

夢を叶えるためにはこうするしかなかったのだから。

 

こういった想いが伝わってきて、最後の最後で圧倒されました。

 

人には誰しも、こうしていればよかった、あんなことするんじゃなかった、と後悔することがあると思います。

でも全てを手に入れられるほど人生は甘くない。

私には予想外だったのですが、この映画は夢だけでなく現実も人生として描いていました。

 

全く別物ではあるのですが、ラストの切なさとかがちょっとだけシェルブールの雨傘に似てるな〜と思ってしまいました。

でもあれとは違うんです。

私の解釈では、シェルブールの雨傘ではジュヌビエーヴはラストで幸せではないですから。

セブとミアは犠牲にしたものもあるけれど、夢は叶えましたから。

 

 

こうして最後に振り返ってみると、夢と希望を象徴する冒頭シーンも退屈だと感じた前半も夢と希望でふわふわしていた二人の初めてのデートのシーンも二人の喧嘩とすれ違いも全部必要で、このラストのためにあったんだと感じました。

 

結局いらないシーンなんてなかったと思うし、意味がある映画でした。

元々あまり期待せずに観たせいもありますが、期待以上でした。

 

私の個人的な感想でしかありませんが、前半のテンポの悪さは私が期待したミュージカルの畳み掛けるような派手さがなかったからかなと思います。

私は淡々としたフランス映画が好きなのですが、この映画の前半はフランス映画特有の淡々とした雰囲気でもなければスケールが大きくて派手なミュージカルの雰囲気でもなかった。

冒頭は確かにミュージカル感ありましたが、その後のストーリー前半が勢いに欠けていたと思います。

ワンカットで撮ったというなら確かにすごいとは思うけれど、観ている側としてはもっと畳み掛けるような勢いと流れが欲しかった、という感じです。

とはいえ、ラストの二人の理想の夢の部分は演出も良かったし勢いもありテンポも良かったです。

 

別に俳優の歌やダンスを貶してるわけではないんですよ。

二人ともうまかったし、ものすごい努力があったんだと思う。

でも映画の宣伝の仕方が違うんじゃないかと思います。私だけかもしれないけど、あの宣伝文句をみると、夢と希望に溢れててド派手ででハッピーなエンターテイメント映画なのかなと思ってしまう気がします。

でも実際にみてみると印象が違いました。

実際にみてみると、夢と希望のエンターテイメントとしてのミュージカル映画というより、現実を描くためにミュージカル形式を用いて効果的に表現したよという感じの映画でした。

逆に意外性を持たせたいという狙いがあったのかもしれないし、私が勝手に誤った捉え方をしていただけかもしれないし、なんとも言えませんが。

 

 

話を戻すと、色彩や冒頭の演出もよかったと思います。

また、ミアとうまくいかなくなってしまったセブに度々姉だったか妹だったかの幸せな家庭の状況が知らされるところとか効果的だと思いました。

 

 

この映画にもしもナレーションが入っていたら、ここまで楽しめなかったと思います。

詳しい説明がないからこそ、面白かったです。

そして夢と希望でハッピー!!

というだけでなく、現実もきちんと描いたところにこの映画の意味があると思います。

 

 

それぞれ観た人によって色々な感想があると思います。

これで私の勝手な感想を終わりたいと思います。

 

「風と共に去りぬ」感想⑤

〜スカーレットとその子供たち〜

これまた映画の話でなくなって、本の感想になってしまいます。映画も踏まえてはいますが、これまでの風と共に去りぬの感想もどちらかといえば本の感想だと今更ながら気付きました。

タイトルにわざわざ"映画"と入れるのはどうかと思い始めたのでこれまでのタイトルも全部"映画"というワードは消しますね。

 

ではでは本題に。

 

映画では、スカーレットの子供はレットとの間に生まれたボニーしか登場しません。

ところが本を読んでみると、スカーレット、実は3人子供を産んでいます。男の子1人、ボニー含めて女の子2人です。スカーレットは3回結婚しているので、子供の父親はどの子供も異なります。

 

そしてスカーレット、子供に母親らしい愛情を持ったことがないようです。

 

特に、上2人の子供に関しては、スカーレットがいつもイライラしているためか、母親を心底怖がっています。

スカーレット自身も、上2人の子よりもボニーが好きだと感じているようです。

なぜなら、ボニーはスカーレットを割と好いていたから。少なくとも上2人のようにスカーレットを恐れてはいなかったし、レットに比べると劣りますが、スカーレットにも懐いているようでした。

なぜボニーがスカーレットをそこまで恐れなかったかというと、スカーレットがレットと結婚して金銭的な安定を手に入れ、貧乏に怯える必要がなくなったから。貧乏を恐れていた頃のスカーレットは、狂ったように働いていて、物理的にも精神的にも子供に構ってやる余裕がなかったのです。

 

でも、スカーレットに心の余裕があったとしても、スカーレットは母親には向いていなかったのではないかと思います。

「風と共に去りぬ」感想④

〜スカーレット〜

 

以前スカーレットは我儘なだけではなく、意外と情もあると書きましたが、それを裏付けるエピソードが他にもあります。

 

スカーレットは黒人への差別意識があまりありません。今でこそ人種差別はあってはならないという認識が広がっていますが、当時のスカーレットの周囲では少なからず格差があったと思われます。 

 

しかし、スカーレットは黒人であるマミーに大切に育ててもらったこと、他の使用人たちも忠誠心の強い信頼できる人たちが多かったことから、彼らを本当の家族として大切に思っています。

だからこそ、父親の形見である時計をポークにあげたし、罵られたピーター爺やを庇いました。

スカーレットはポークが誰よりも父親に尽くしたことをわかっていたし、ポークの気持ちや父親の気持ちを汲み取って、時計をポークに渡すことにしたのでしょう。

 

こういったところからもスカーレットのしきたりに縛られない、合理的な考え方をするところが伺えますが、それと同時にスカーレットの情の深さも感じます。